鹿児島大学大学院 医歯学総合研究科 先進治療科学専攻 外科学講座 消化器外科学
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ゲカイチ

Vol.14

ー “寄り添う”こと。 ー



 
 

ゲカイチ恒例行事といえば当然“花見”である。
そういえば、半田先生から「せっかくだから、今年は花見の幹事をしてみなさい。」
と言われていたのを思い出してきた。

なにが「せっかく」なのかはよくわからないが、
本来、幹事をする予定だった喜例先生が多忙の為、
急きょ僕に白羽の矢が立った。……ということらしい。

「まぁ、そういうわけで、せっかくだから。」と、
喜例先生の部屋につくまでに花見の大体の説明をきかされながら、先生の部屋に入る。



まったく、なにが「せっかくだから。」なのか。
喜例先生もけっこう大雑把な人だ。
全く人は見た目によらない。

とはいえ、それを説明する喜例先生は思った以上に困憊していて、
その横顔にいつもの美しさはなかった。
手術、論文のまとめ、学会の資料つくり…などなど、
年度末始の忙しい状況で、花見についての質問なんて
お気楽なことが出来るわけもないのは、僕にとっても想像にたやすく、

「えっと、大丈夫ですか?」

なんて、責任感のない言葉で聞いてみるのが精いっぱいだった。




 

桐野 実は担当していた患者さんに癌の再発を認めたの。
しかもすごく進行している様子で末期に近いみたい。
手術も術後のフォローアップも大変苦慮したから、
すごく残念なの…。
 


 


…ここは病院なのだ。
病と治療の狭間で生と死が隣り合わせているのも当然のこと。

人は生まれた以上、死を待つ人生となる。
それはどんなに否定しても覆すことが出来ないことで、
人間は生きている間にどのようにして「生死を解決するか」が大切になる。
そしてそれに向き合う医者の立場も複雑だ、

家族はもちろん、死に直面した本人にとっても医者は希望そのものであり、一筋の光だ。





 

桐野 末期癌を宣告された患者さんは、
家族にとって“自分は邪魔な存在だ”と思ってしまうらしいのね。
 
桐野 もちろん、本当はそんなことはないのだけれども、
大きな不安がそうさせるのかもね。

そんな中、昔は医者がまるで殿さまのように
“医者主導”の治療が行われてきたわけ。
 
桐野 大切なことは、どう“接するか”ではなく、

どう“ 寄り添うか”なのにね


 
桐野 どこか辛いですか?では発見できない
患者さんの“気持ち”の部分ですか
 
 



喜例先生は、僕がしゃべり終わるのを待たずに、独り言のように話し始める。
 




 
桐野 そうね。
でも“殿さまのように”とはいえ、説明と同意のようなものはなくても
“信頼関係”は昔も構築されていたと思うのよ。

それでも、患者に寄り添い、共に励ますという姿勢を、
医療が置き去りがちにしていたのも否定できないわ

 



医者として、末期ガン患者との付き合いは、それ以外の患者とは違うものがある。
ということなのか。

死期が迫る末期ガン患者に「寄り添う」とはどういうコトなのだろう。
僕の次の言葉を待つまでもなく、喜例先生は言葉を続けた。


 

 
桐野 前に、自分の容態が良くないのにも関わらず、
お孫さんの結婚式への参列を熱望する患者さんも居たの。
 その時はチームを組んで、万が一に備えて式場の裏で待機したこともあったわ。
 
桐野 その患者さんはその数日後にはお亡くなりになられたけど、
最期の最後までありがとうの言葉を繰り返してたの…。




 

目に涙を浮かべそうな雰囲気で話す、 喜例先生の横顔を見ながら
“寄り添うこと”の意味や、 その効果がなんとなくわかった気がした。


喜例先生は今、また別の誰かの命に寄り添っている。
医者としての技術や知識だけでなく、
心の白衣を脱ぎ、友人として、家族として、仲間として、
最期まで寄り添うことの重要性…。


セミナーのタイトルで言えば
『医学的視点とヒューマニズムのバランス感覚の大切さ』とでもいうのか、
そんなものを再認識させられる。
僕の「次のステップ」とはこのことなのかもしれない。






正直、
花見のことは「先生の手伝いだし」
そんな気持ちで喜例先生に頼るつもりでいた。

いつも、凛としてて、強気な感じのする先生だから楽だろうなんて安心してたけど、
花見のことは他の先生にアドバイスを貰って自分なりにやってみることに決めた。




「忙しいと思いますが、もしも晴れたら、喜例先生も参加してくださいね!」
とだけ残して、僕はその場をあとにした。






満開の桜の季節に、死んでゆく人もいるのだ。
現代では二人に一人は癌になると言われている。

逆に言うと、二人に一人は癌にならずに、
脳梗塞や、心疾患、肺炎、或いは認知になって
遠い家族と離れ、独居の介護等が必要になる。



その時々で、患者さんにどう寄り添うか。
いつもそういう心でいるためにどうするか。

そんなことを考えながらエレベーターを待っている時、
「大丈夫ですか?」と声を掛けられた。






 
桐野 珍しく深刻な表情しているけど何かあったの?





ほんの少し前に、僕が喜例先生に掛けた言葉と
同じような言葉を江良井先生から掛けられたから、
なんだか、よくわからない可笑しさがこみあげてきた。


僕は「大丈夫ですよ!」と明るく
「いやあ、唐突に花見の幹事を任されて、アレコレ考え過ぎてちゃったんです!」
とおどけた。




 
桐野

そうか、今年は君が幹事になったのか、
それは、“いい感じ”だ。




 

江良井先生はたまに、(きっとその場を楽しませる為にだろう…)
会話にダジャレを挟んでくるのだが
正直、リアクションにちょっと困るときがある。





 
桐野

まあ、色々と忙しいとは思うけど、期待してるよ!

 
桐野

“幹事、いい感じに”頑張って!




 

江良井先生は僕の肩をポンと叩き、
そのままゆっくりとエレベーターに入った。




…よし、まずは、花見。
「尊敬する先輩たちにどう寄り添うか。」も勉強のひとつだな。

あとは…ダジャレも。


僕はエレベーターの中で、
江良井先生を楽しませるダジャレを考えて、披露することにした。






 

 

 

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