みなさん初めまして、新入局員の有馬武尊と申します。武尊と書いてタケルと読みます。
患者さんからも「先生、名前かっこいいねぇ!」とよく言われる自慢の名前です。
そんな、名前だけよく褒められる私が、外科医になるまでのアレコレをご紹介したいと思います。
生後4年ほど奄美大島の横の喜界島という島で過ごし、その後は伊集院北幼稚園から伊集院北小学校へとエスカレーター式に進学しました。そして、ラ・サール中学へ入学し、ラ・サール高校へエスカレーター式に進学しました。エスカレーターに乗ってばっかりです。
エスカレーターに乗ることを覚えた私は、その間、勉強を全くせずラグビーと遊びに一生懸命でした。そのため、流れるように北九州予備校に入学し、4年間通った末、出身校である山口大学医学部に入学しました。
そうしてやっと医学の道に一歩足を踏み入れました。
大学では中学からやっていたラグビーを続け、数多のテストをギリギリでクリアし(もちろん再試験で)、順調に?7年間で医学部生活を終えることができました。
学生時代は、取り敢えずオペってかっこいい!けど、長時間は無理だから短いオペの科がいいな、なんて思っていました。
消化器外科をローテートしていた時に至っては、オペ長くて地獄だ、という記憶しかありません。
私の担当症例は胆摘だったので2時間程度だったくせにです。しかもカメラ持ちまでさせられました…。正気とは思えません。
必然的に、消化器外科になるという考えは1mmもありませんでした。
研修医の同期、愛しい後輩たち。 男ばかりでしたが、最高のメンバーでした |
なんとか国家試験に合格した私は、いまきいれ総合病院で研修医生活を送りました。
言ってしまえば、ここでいまきいれ総合病院に入職を決めた時が、人生の転機だったのかもしれません。
研修医1年目の7月。あれは溶けるような暑い夏でした。セミも鳴いていたっけ。
消化器外科をローテートで回り、そこで出会ったのが、小倉部長をはじめとした、野田先生、黒島先生、和田先生という私の中でこれ以上ない最高な先生たちでした。このメンバーに入れてもらい手術に入ると、何ということでしょう、あんなに長くて嫌だった消化器外科の手術が楽しいではありませんか!
この一か月で、まずはいまきいれ総合病院の外科の虜になっていました。
最終日の朝の回診前に、野田先生から「有馬くん、また外科回りなよ」といわれ、その日のうちに秘書さんにローテート変更をお願いしたことは今でもはっきりと覚えています。
そんなこんなで結局トータル4か月も外科を回り、いまきいれ総合病院外科の虜から、次第に消化器外科の虜になったところで一外科入局を心に決めました。
一番左が僕です。最高の先生方と。 |
今年の4月から一外科に入局し、初めの半年は大学病院でした。2ヵ月間、肝胆膵グループで働かせていただきました。確かに仕事は大変なことも多いです。しかし、自分でもビックリですが、一切ストレスを抱えることなく、今日は仕事行きたくないなぁなんて思うこともありませんでした。毎日楽しい!優しい先生たち、頼れる同期のおかげです。
10月からは鹿児島厚生連病院で働いております。初めてのことばかりで、まだまだ外科医としての戦力にはなれていませんが、前之原名誉院長、迫田先生、坂元先生、米盛先生のご指導のもと、少しずつですが、成長していると思いたい所です。明るく元気にをモットーに頑張っています!
と、特に中身のない個人的な話をしてきましたが、どの科に進もうか悩む研修医の先生、学生さんにお伝えしたいことは、’’人との出会いに身を任せる’’のも良いかもしれません。「どの科だってやりがいはある!それなら気の合う、楽しく働ける人がたくさんいるところがいい!」と思うからです。是非一度、一外科に遊びに来てみてください。お酒とともに私たちと楽しく語らいましょう!Welcome to ゲカイチ!
最近の写真がなかったので、研修医最終日、つまりほぼ外科医の僕の写真です。 |