時は昭和59年、蔵前国技館での本場所開催が最後となる9月場所で、
元大関小錦八十吉が千代の富士、隆の里の両横綱をはじめ
日本人力士をバッタバッタとなぎ倒し、
黒船襲来!と世間を騒がせたことを覚えている方も多いのではないでしょうか。
時を同じくして、8月31日。
一人の赤ん坊が産声をあげました。
そうです、僕です。南曲康多です。
現在では小食に成り下がってしまいましたが、
当時の自分は底なしの胃袋を持ち合わせ、昔で言うとこの「健康優良児」。
母親のおっぱいをぺしゃんこにするまで飲み尽し、
ぷくぷくとした見た目で小錦の愛称で巷のママさんから可愛がられていたそうです。
時はたち、父親がまだ鹿大の一外科に所属し、
ローテーションで奄美の県立大島病院へ赴任になった時のこと、
あまりの悪ガキっぷりに内地から黒船襲来と恐れられていたのも、
小錦の名残があったからかもしれません。
研修生活を県立大島病院で迎えた日は、まさかこの地で、
医師としての第一歩を踏み出すことになるとは、
と感慨深かったことを覚えております。
父が医師であったため、小さなころから〈病院〉という所と接する機会は
他の人より多かったからでしょうか。
知らず知らずのうちに医師になることを志し、
知らず知らずのうちに外科医を志しておりました。
まさしくDNAのなせる技!
と言えば響きがいいですが、、、
俗にいう親が敷いたレールに乗った人生と言えばそれまでかもしれません。
そんな人生の前半戦でしたが、後悔はなくむしろ親には大変感謝しております。
やりがいがありますし、何より仕事が楽しいです。
(もちろん、辛いと感じる事もいっぱいありますけど…)
そんな訳で…
『外科医のここが好き』 TOP3!
① 響きがカッコいい! 『外科医です!』
…死ぬ前に一度は言ってみたいフレーズ!
② The チーム医療!
前立ち、助手、麻酔科医、オペ室ナース、皆の力を合わせて手術をします!
…緊急手術は武者震いするぜ!(びびってるだけ?)
③ 外科医とは職人である! こだわりを持って手術をする、職人気質!
…あー、まだまだほど遠い、、、
…という風に完全ミーハー丸出しの自分ですが、
自分の理想とする外科医像(医局員のページでは理想の外科医像で筋肉隆々と書いてありますが真相はいかに?)を目指して日々精進する毎日です。
外科医としての歩み
一外科に入局してもうすぐ一年がたとうとしております。
入局してまずは大学で3か月、外科医の下積み生活とでも言いましょうか、術前検査に手術そして術後管理、化学療法に緩和まで幅広く、外科医としてどういう知識が必要なのか、外科医とはどういうものなのか、全体的な外科医像を学んだ3か月でした。
朝は早くて夜も遅い、発表の準備に緊急オペ、目まぐるしく一日が過ぎていき正直大変な日々でしたが、頼れる先輩方、励ましあえる同期が身近にいて、苦しみながらも楽しく仕事ができました。
7月からは加世田の県立薩南病院へ。
ここで初めて執刀医:南曲の登場です。
鼡径へルニア、胆嚢炎、虫垂炎、絞扼性イレウス等の手術を主に執刀させて頂き、「俺も外科医になったな〜」と感じた時期でした。
頼れる around 50の3人の先生方に
「俺が医学部生の時にバブゥ〜、って産まれた赤ん坊と今一緒に仕事してるんだよな〜!」
と若かりし時代に思いを馳せ、
時に獅子の子落としの如く厳しい状況に直面しても陰でそっと見守り、
時に如来の如く優しく抱きかかえるように術者:南曲チェンジ、
となっておりました。
外科医として大きな第一歩を踏み出せた半年間だったと思います。
そして年が明け、1月より枕崎のサザンリージョン病院へ。
まだまだ来たばっかりで、状況把握に必死な状態ですが、新たな目標を見つけて一歩一歩進んでいこうと思います。
後輩の皆さんへ
少しでも興味があれば是非覗いてみてください♪
色んな先生がいて楽しい医局です!
勿論大変な事もいっぱいありますが、
それを経験することで人として成長していけると思います。
百聞は一見にしかず、皆さ〜ん Welcome!! ですよー♪
いつの日か余興で一緒に踊りましょう!!笑