鹿児島大学大学院 医歯学総合研究科 先進治療科学専攻 外科学講座 消化器外科学
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特選コラム

留学は目標ではなく、出発点。

鹿児島大学 消化器・乳腺外科 柳田茂寛と申します。

これから、留学も含めて外科医として当科に入局したいとお考えの方に少しでも、私の留学経験が参考になればとの思いで、当時の記憶をたどりたいと思います。

 私は2008年6月~2010年6月にアメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス、サンタモニカのJOHNE WAYNE Cancer Instituteに留学しました。
 当時は私が所属する医局もアメリカも大きな分岐点にありました。医局は愛甲前教授の後任の教授選前であり、アメリカでは大統領選挙で、オバマ氏が選挙戦を戦っている最中でありました。
そういう世の中の状況において、私の状況はベッドフリー研究終了後2年が経過し、子供は長男が5歳に、長女が3歳になっており、家族の状況から、“今しか留学のチャンスは無い! でもな・・・”と、悶々としておりました。先輩の有上先生がJOHN WAYNE Cancer Instituteでの留学を終えて帰国する時期でもあり、当時助教授であった夏越先生に相談したところ、快諾いただき留学することになりました。
留学は、私の目標の1つであり、留学の権利を得るために頑張るとの思いで仕事をしていたと思います。
留学の思い出を仕事、家族、その他について綴ります。




 前任の有上先生の後任ということも有り、生活のセットアップについては比較的順調でした。私のBossであるDr. Dave Hoonより“君はSarcomaについてやりなさい”と、指示がありました。当初、同僚の先生達は“sarcoma studyはやめた方がいいよ。難しいよ。”と、助言がありました。
 “難しければ、やってやろうじゃないか!”そう思いSarcomaについての研究に着手しました。主なテーマはsarcomaにおけるepigenetic regulation、主にhistone modificationについてでした。当時、histone modificationについてはラボが新たに着手したテーマであり、その他の癌腫でhistoneの研究を始めた日本人fellowとよくdiscussionしながらの実験でした(私の所属したラボは日本人が多いことも特徴の1つでした)。しかし、やはりsarcoma studyは困難を極めました。
 Cellを用いた実験は特に問題ないのですが、臨床検体(パラフィン固定検体)から、対象となるDNA抽出が非常に困難なのです。“マンモスからもDNAが採れるから採れるはずだ! ”とボスは言うけれど。採れないDNAは試薬にも問題があり、それなりに採れるようにはなりました。それでも十分では有りませんでしたので、力業で何とか採るようにしました。時間は足りません。2年という留学期間は非常に短いものだと感じました。帰国する頃に思い出しました。同僚の“sarcoma studyはやめた方がいいよ。難しいよ。”という言葉を。
 しかし悔いはありません。今後の外科医としての私の人生において、今は何かはかわかりませんが、何らかの糧になっているはずでしょう。



 家族にとって最も大きな出来事は、妻がSummer vacation直前に急性虫垂炎になった事です。救命救急センターに連れて行き、診察診断までが6時間かかったことも驚きでしたが、手術翌日退院であった事も驚きでした。また、ほとんど主治医を見ることがなかったこと、術後食はチキンステーキがいきなりでてきた事など、日本との違いが非常に印象に残っています。やはり、日本は医療面については欠点もあるかもしれませんが、きめ細やかでスピーディーであり、充実していると実感しました。





 子供達はというと、長男は現地のpublic schoolに入学しました。恥ずかしがり屋の長男ですが、2週間ほどは泣きながらの登校であったようです。それでも、1か月もすると、問題なく登校していました。英語についても帰国して4年経過した現在でもしっかりと理解できているようです。長女は、元々自己主張がはっきりしていましたが、やはり長男同様言葉の壁を感じていたようです。それでも、ものすごい勢いで英語に慣れて、発音はnative speaker並みでした。やはり、子供の頭は柔らかいです。感心しました。帰国して4年経過すると長女は英語を話していた事すら記憶に無いようで、忘れるのも早いようです。





 レジャーその他の事についてです。私が住んでいた所は、サンタモニカとロサンゼルス境界付近であり、車で10分も走ればHollywood, Beverly Hillsという場所でした。そんな場所に住んでいても、スターは見かけませでした。休日は、家族で近くのSanta Monica Mountain にハイキングに行ったり、Beachをサイクリングしたり、Summer vacationには、camping carをレンタルし、国立公園にcampしながら周遊するという経験もできました。まさに、大自然を実感しました。日本も自然は豊かですが、日本の自然は “深い緑”というイメージですが、アメリカの自然は、“乾いた大地”というイメージです。





 私の留学は、2年と短いものでしたが、常に家族に助けられ、周りの友人に助けられた2年であったことは間違いないと思います。皆に感謝です。また、留学をするにあたり、サポートしていただいた教室の先生方にも感謝です。

 この2年が私にとってどういう意味を持つのか? そんな事を、時々思う事があります。楽しいことも多いですが、反面大変な事も多く、総括することは難しいですが、仮にもう一度留学する機会があれば、間違いなく行くでしょう。留学は目標ではなく、出発点。そんな思いで、今後の外科医として指命を果たしたいと思います。

 

鹿児島大学大学院 医歯学総合研究科 先進治療科学専攻 外科学講座 消化器外科学

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