鹿児島大学大学院 医歯学総合研究科 先進治療科学専攻 外科学講座 消化器外科学
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特選コラム

迷わず行けよ 行けばわかるさ 海外留学。

鹿児島大学消化器・乳腺甲状腺外科所属の蔵原弘と申します.
早いもので,アメリカ留学から帰国してもうすぐ1年が過ぎようとしています.
私の留学経験に関しまして,当時を思い出しながら紹介してみたいと思います.

私が留学していたのはアメリカのカンサス州にあるカンサス大学メディカルセンターのCancer Biologyという癌の転移を主たる研究テーマにしているラボです.
以前と違って,海外で研究留学を希望する臨床医は減ってきていると思いますし,正直なところ私も海外留学に関してはかなり迷いました.留学希望の理由も下記のようにかなり漠然としたものでした.
日本から出て広い世界と触れ合い視野を広げたい.
家族で海外の生活を経験してみたい.
英会話を上達させいろいろな国の人と話してみたい.
真剣に研究を深めるために行ったというより,他の理由が多かったような気がします.




ボスとの面接はSkypeでした(その時初めてSkypeを使用しました).
いろいろな手続きも済ませ,いよいよ留学の始まりです.
家族(妻,長男:小学4年生,長女:幼稚園児)と一緒の渡米です.正に右も左も分かりません.最初はアパート決め,銀行口座開設,車購入,家具購入,電気・ガス・インターネットの契約,子供の小学校と幼稚園決め,恐ろしい数の予防接種など,今にも気を失いそうになりながら日々体当たりでこなしていきました.夕方になり家族とゆっくり食事をするときだけが気がやすまるひと時です.渡米後すぐに家族の団結力が高まりました.




生活がひと段落すると今度は,ラボで洗礼を受けることになります.最初の出勤日に自己紹介がてらラボミーティングに参加しました.ミーティング後に質問はないかと尋ねられたのですが,正直なところ発表内容自体もその時の私には難解である上に英語力不足も加わり,満面の笑みで返すのが精一杯でした.また,何も分からずニコニコしながらアメリカに到着した子供たちにも,現地の幼稚園および小学校での洗礼が待っていました.クラスに日本人はおらず,それどころか幼稚園・小学校始まって以来の日本人でした.まったく言葉の通じない環境で最初は行きたくないと泣いていました.




やる気だけはありますが,何とも前途多難な感じで留学生活が始まります.外科医の生活のリズムで朝早くから夜遅くまでラボで働いていると,たちまちラボでもトップクラスのhard workerになります.また,アメリカのラボは多国籍軍であり,それぞれの国の面白い内情や慣習が聞けてとても面白いです.お返しに日本のことを英語で紹介するのは,英会話のいい練習になります.とにかくどんどん英語で話しかけることが英会話上達の近道であり,nativeなきれいな英語を話さなければならないということはなく,みんな自国訛りの英語(中国人:チングリッシュ,シンガポール人:シングリッシュ)で堂々とdiscussionしています.とてもおとなしいというのが外国人の抱いている日本人に対する印象ですが,単純に英会話力不足によるとことが大きいと思います.子供たちは1週間もすると友達もできて,幼稚園や小学校に通うことが楽しくなったようでした.その頃私はまだラボでアップアップしており,子供たちの適応力の高さが羨ましかったものでした.





研究に関しては,いろいろな新しい方法や手技を学べるのは楽しかったのですが,実験はうまくいかないことの方が圧倒的に多く,それだけにうまくいった時の嬉しさは倍返しでした.しっかり仮説を立てて,それを実証するための実験を組むという基本的な考え方を叩き込まれました.周りに臨床医はおらず,動物実験に関してだけは外科医としての腕が大いに役に立ちました.研究に行き詰ったときは動物舎に行ってマウスに話しかけながら気分転換したものでした.研究が少しずつ軌道に乗ってきたのは1年を過ぎたころからであり,その頃にはやっと自分で考えて研究を組み立てられるようになり,研究を楽しむこともできるようになりました.

普段の生活では,話には聞いていましたが全てがビッグサイズです.スーパーで売っている肉のサイズが半端ではありません.各家庭に一台はバーベキューセットがあり,ちょくちょく食事会をするのですが,バーベキューの準備だけは夫の役割のようです.週の半分は牛肉を食べていたような気がします.ただ,日本の週末のように街で飲んだくれてベロベロになっている人はほとんど見かけません.治安の問題もあり,へたに外で酔っぱらうと危ないのかもしれません.アメリカでの2年間で飲酒量も激減し,私の肝臓はすっかり甘やかされてしまいました.


アメリカで暮らしに慣れ,ラボでの研究にも慣れてくると,いろいろなところに旅行をしてみたくなります.研究の合間にいろいろなところに家族旅行しました.イエローストーン,ナイアガラの滝,グランドキャニオン,セドナ,ヨセミテなどの国立公園では自然の雄大さに感動し,癒されました.グランドキャニオンには私と妻の親も一緒に旅行したのですが,両方の親にとってこれが初めての海外旅行でした.日本からカンサスまでの直行便はなく,彼らが無事にカンサス空港に到着したのを見た時には安心したのと,少し感動しました. また,東京ディズニーランドには行ったことがありませんが,本場のディズニーワールド(フロリダ)とディズニーランド(ロサンゼルス)を堪能しました.子供たちはもちろん我々大人もテンションが上がってしまいました.

 


あっという間の2年間でしたが,気が付けば家族全員思いっきりアメリカ留学生活を楽しんでいました.想像だけでは分からない,実際に生活してみて初めて分かることがたくさんありました.日本にいればしなくてもいい苦労もたくさん経験することになりますが,不思議と何とかなるものです.苦労を乗り越える度に何かを得ることができると思います.研究以外にも得るものが大きかった2年間だと思います.是非若い皆さんも実際に海外留学に行ってみて自分自身で経験してみて下さい.


 

鹿児島大学大学院 医歯学総合研究科 先進治療科学専攻 外科学講座 消化器外科学

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