2020年度、入局しました平瀬と申します。
私は2010年に栃木県の自治医科大学を卒業し、10年間鹿児島の地域医療に従事させていただきました。
10年間の地域医療の中で、さまざまな経験を通して外科医になることを志し、義務年限が明けた11年目に鹿児島大学消化器・乳腺甲状腺外科に入局することを決めました。
今回、コラム執筆の機会をいただきましたのでその経緯を少し書かせていただきます。
私は徳之島という離島で生まれ育ちました。
鹿児島には多くの離島僻地があり、自然豊かで魅力がある反面、生活や医療の面でさまざまな不便さや不自由さを抱えています(不自由さが魅力の一面でもありますが…)。
離島で生活する中で、大切な家族や身近な人たちを亡くす経験を通していつしか医師になり離島僻地に貢献したいと夢見るようになりました。

高校は鹿児島市内の鶴丸高校へ、大学は前述の自治医科大学へ進学することができました。
この大学は各都道府県から毎年2〜3名が選抜され、大学卒業後は出身都道府県へ戻り地域医療に従事することが義務づけられています。まさに自分の目指す医師像と合致する建学精神の大学で6年間学ぶことができ感謝しています。
大学時代は高校から継続していた柔道部に所属し、東医体優勝目指し汗を流したのもいい思い出です。

華岡青洲の教え「内外合一」。
無事6年間で大学を卒業でき、鹿児島に帰り奄美大島にある県立大島病院で初期研修をさせていただくこととなりました。
2年間の初期研修は、離島へき地で経験するcommon diseaseへの対応を身に付けるため、研修病院の標榜科すべてを回わりました。
そんな中、外科を回った時に指導医から言われた一言で、自分の目指す総合診療医が外科にあるのではないかと感じるようになりました。それは「内外合一」という言葉です。
少し歴史の話になりますが、江戸時代に活躍した世界で初めて全身麻酔で手術を成功させた外科医「華岡青洲」の教えに「内外合一」という言葉が出てきます。
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外科ニ志スモノハ先ズ内科ニ精通セザルベカラズ。
苟モ之ヲ審カニシテ之ガ治方ヲ施サバ外科ニ於テ間然アルナシ。
内外ヲ審査シ始メテ刀ヲ下スベキモノナリ。
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つまりは、外科医は内科に精通し、内科外科両面から患者を診なければ患者にメスを入れてはいけないといった内容です。
この言葉を知った時から「内科を診れる外科医になりたい」と思うようになりました。

↑仕事はもちろん、舟漕ぎにも一生懸命になった2年間 |
それからの8年間は、医師として人間として自分を成長させることができた時間となりました。
瀬戸内町立へき地診療所で巡回バス診療を行ったり、北薩病院で診療科を超えた幅広い診療に当たったり、鹿児島赤十字病院で三島村十島村をフェリーで巡回診療したりと地域医療の醍醐味を経験することができました。
特に困った場面では外科の先生に相談し、そのたびに助けていただき、支えられたと感謝しています。
診療所で急患が発生した際には後方支援病院の外科の先生が「外科を最後の砦と思って頼ってくるんだから、外科医があきらめたらダメだ。すぐ搬送してください!」と快く受け入れてくださったり、遠隔モニターを用いて外傷処置の指示をいただいたりと、今でもこの御恩を忘れることはできません。
↑各島々を巡り、定期的に地元消防団・看護師と救急搬送訓練を行いました |

↑島では、子供からお年寄りまで何でも対応しなければなりません |
これからの医療の現場に求められる医師像。
地域医療は「医師も患者もお互いを選ぶことができない」場面が多々あります。
逃げない・断らないように心がけていても自分(の施設)で診断・対応できないと判断した際に頼れるのが、外科医であり、そんな外科医こそ総合診療医であり、これからの医療の現場に求められる医師像ではないだろうかと私は思っています。
「外科医こそ総合診療医」だと10年間の地域医療を通して感じ、自分もそんな外科医になりたいと一外科の門を叩かせていただきました。
地域医療に興味のある方も、是非とも一外科でその醍醐味を味わってみませんか?
↑10年間の地域医療を評価され、名誉ある高久賞を頂きました |
2021-01-16 00:55:10