• TOP >
  • ショートストーリー「ゲカイチ」
  •  ゲカイチヘッダ
    コイバナ。

     

     僕は、告知板にポスターを貼った。腹腔鏡トレーニングの講習会への参加を呼びかける内容だ。
     しかし、肝心の講習会はすでに終わっており、参加者を募る必要などなかったのだが、
    それでも貼る意味を、僕は見出そうとしていた。

     当初、仲間探しは気乗りのする仕事とはいえなかった。
    しかし、ポスターを作るという目的に置き換えたら、不思議とやる気が出た。
    この手のことが好きなのだ。
    意外だったのは、ポスターを作るために、グラフィックツールを使える人を探したり、
    プリンターを借りたりする過程で、自然に仲間が見つかっていったことだ。
    説得するとか強いるとかいうことは一切なく、あまりにスムーズに勧誘活動は進んだ。
    そして、ポスターが刷り上がったときには、すでに4人の仲間がそろっていた。
     半田先生は僕の社交性に大して期待していなかったから、成果としては十分な数である。
    このようにして、役割を失ったポスターが生まれたのだった。

     喜例先生に仕上がったポスターを見せる約束をしていた僕は、彼女のいる事務室を訪ねた。
    講習会はすでに終わっていたけれども、やっぱり約束とは守られるために結ばれるものだし、ポスターは見られるために刷られるものだという事実を重く受け止めていたのだ、

    というのはウソで、本当は喜例先生に会いたかっただけだ。


     

    桐野 講習会はけっこう人数が集まったらしいね。桐野君のポスター効果?
     
    桐野 それはないです。まず貼ってないですから。
     
    桐野 あ、制作が間に合わなかったの?
     
    桐野 いえ、作ったんですけど、
    十分にメンバーが見つかって、
    貼る意味がなくなっちゃったんですよ。
     
    桐野 もったいない。
    それでそのポスターを見せに来てくれたの?
     
    桐野 約束でしたから、一応。


     

     
     もっともらしく付け足した「一応」が恥ずかしい。
    一応ってなんだ。実は、あなたに会いたかったからです。
    そうなんです、あなたにほめてほしくてしょうがないんです。
     「実は」だけで話せたら、僕は僕なりの文脈でスムーズに会話をエスコートできるのに!

    そんな青い妄想とは裏腹に、僕はしどろもどろに会話をつぎはぎするのが精いっぱいだった。
     せめてもの救いは、喜例先生が多少大げさなくらいにポスターの出来をほめてくれたことだ。
    それに勇気づけられた僕は、田中先生から腹腔鏡の扱いがうまいとほめられた話だとか、
    腹腔鏡について聞きかじったことだとか、本題の体裁を保った話題で会話を埋めていった。
     僕が舞い上がっているのは見え見えで、まるで裸で話している思いがした。




     
    田中先生 桐野君みたいに、講習会で手術の疑似体験に手応えを感じて、
    ゲカイチ入りを決めた人も知ってるよ。
    やっぱり実際に触ってみないと生まれてこない感覚ってあるのよ。
    道具でしょ。体の外部のものだからね。
     
    桐野

    はい。触らないと分からなかったですね。
    もっとやってみたいと思いますし。
    そうやって道具が人生を導くことがあるんでしょうね。

     
    田中先生 そういう言い方すると、ちょっとドラマチックね。悪くないわ。


     

      そう言うと、彼女は僕にお茶をすすめる合図をした。
    喜例先生は、昔の女優のような話し方をするときがある。
     彼女のこの習慣を僕は気に入っていたし、軽い恍惚感すら覚えるのだった。
    つまりは、キュンキュンだった。

     「現実はもっとドラマチックだと思うのよ」と、彼女は続けた。


     

    桐野

    道具が、人間にできることを拡張するとでも言えばいいかな。
    従来、人の手で結んでいたもの、糸で結んでいたものが、
    すごく簡単かつ安全に切離したり縫合したりできるようになったのよね。
    それで救われる人が増えるんだから。今じゃあたりまえだけど、やっぱりすごいことよ。

     
    桐野

    ここ20年くらいの話なんですもんね。



     

      先生は僕の目を一呼吸分だけじっと見据えたかと思うと、
    「そのあたりの話は森熊先生に聞くといいわよ」と電話の受話器を上げた。
     一通り用件を相手に伝え、切り際に「それと、若いコとちょっとお話しする時間ないかな?」
    と付け加えた。

     最初、僕の作ったポスターは、仲間募集の告知のために作られたが、
    目的はすり替わり、喜例先生に会う口実に使われた。
     それは結果、ちょっとした個人授業への導きという役割を果たし、
    ついには、恋愛談義の呼び水になった。



     
    田中先生

    ほら、「恋とかしたいなあ」って言う人いるでしょ?
    恋が目的になってるわけね。相手ありきじゃないってことよね。
    それって違うと思わない?相手ありきでしょ?

    恋かどうかは後で決めればいい話であって。
    桐野くんはそこのところどう思う?




     

       僕は何かのスイッチを押してしまったようだった。
    喜例先生はこの後、腹腔鏡手術の話の2倍のボルテージで恋愛論をぶつ。
    彼女は、想像していたよりずっと率直で、情熱的な女性だった。
     話の内容によってクルクル変わるその表情に愛着を抱くようになって来た頃、
    森熊先生が喜例先生のデスクに現れた。

     “うちの科の腹腔鏡第一人者”と紹介された森熊先生を、僕は講習会のときに見かけていた。
    正確に言えば、講習会後のトイレで隣り合せたのだ。
    トイレとは、もっとも人が平等な存在として出会える特別な空間だ。
    その平等感たるや銭湯にも匹敵する。
     とにかく僕は、かなり一方的な理由ではあるが、
    森熊先生に対しては親近感を持って接することができた。


     


     

    半田先生

    昔は、職人技的な手術、その人しかできない手術がもてはやされたものだけど、
    今は万人にとって同じように、やりやすくて安全な手技が求められる時代だね。



     
    桐野

    そうすると、道具の進歩によって、
    医師に求められるものや環境が変わってきそうなものですけど。



     
    半田先生

    そのとおり。
    腹腔鏡手術は大きな道具を持つ必要もないし、
    慣れてくると、術野も拡大視されて、すごくやりやすいんだよ。
    そういう意味では、女性でもかなり修練しやすい分野になったといえるね。



     
    桐野

    あ、それいいですね。半田先生、
    ちゃんとそのへんをアピールしてるのかなあ。

     




     

    「半田先生とはずいぶん仲良くなってきたのね」と喜例先生が笑った。

    この人は、唇の形がきれいなんだなと思った。





     

     

    半田先生

    それから、腹腔鏡手術といえば、最初は胆嚢摘出が圧倒的だったんだけど、
    徐々に大腸や胃、肝臓や膵臓などに応用されてきてね。
    今では、研究会や講習会のような形で、
    技術習得のための集まりが色々なところでもたれてる。
    外科に限らず、産婦人科とか泌尿器科とか、幅広く行われているのも特徴だね。

     






     

     森熊先生は他にも、
    ロボティックサージェリー(術野から離れたところで術者がモニターのみ見ながら手術を行う方法)の話や、
    NOTES( 胃や膣を介してお腹の中に到達し、創を全く体に残さずに行う手術)
    についても話をしてくれた。
     最前線で活躍する人の話に宿る振動が僕を奮わせた。

    もう話が恋愛トークに戻ることがなかったのは残念だったけれど、僕はこの機会を心から楽しんだ。
    僕のポスターは、もはやラッキーアイテムと呼ばれるにふさわしいのじゃないか。
     筒状に丸まったポスターに対して生まれた誇らしさや信頼感は、
    友人に対して持つそれに似ていた。

     目的と手段はときどき入れ替わったり、手段がまた別の目的を引き寄せたりすることがある。
    とかくこの世は、後になってみないと分からないことだらけだ。
     スティーブ・ジョブズが言ったように、
    “先を見て点を繋ぐことはできず、過去を振り返ることでのみ点を繋ぐことができる”のだろう。

     僕はまず点を打っていかなければならない。
    行動することへの意欲が湧いているのを、確かに感じていた。

     2人にお礼を言い、部屋を出た。
    遅めの昼食で立ち寄った学食で、偶然にも江良井教授とはち合う。
    緊張しながらの短い世間話。
     教授は僕のことをちゃんと覚えていて、
    そうすることがごく当然のことかのように、前日に見たドラマの話をした。




     

     

    半田先生

    うん。でもね、
    現実はもっとドラマチックだと思うんですよ。

     



     


     先に食事を済ませた教授の後姿を見送り、僕は「そうかもしれないですね」と相づちを打った。
     ポスターを小脇に、告知板へと向かう。
    告知板の板面に余っているピンを見つけると、4本を引き抜き、空いたスペースにポスターを貼る。
    思えば、このポスターのおかげで仲間だって増えた。
    用済みのポスターを貼ることは、もはや登頂して旗でも立てるような行為と化していた。

     馬鹿げているのは分かっていたが、僕はこの日の高揚感を覚えておきたいと思った。
    意味なんて後から見つかるだろう。
     梶井基次郎の『檸檬』の主人公が、爆弾に見立てた檸檬を丸善の棚に置き去ったような足取りで、
    僕はその場を後にした。





     

     

    ゲカイチフッタ

<< 前のショートストーリー   次のショートストーリー >>

TEL 099-275-5361 FAX 099-265-7426
〒890-8520 鹿児島市桜ヶ丘八丁目35-1

Copyright (c) 2019 Department of surgical oncology kagoshima university graduate school

TEL 099-275-5361 FAX 099-265-7426
鹿児島大学大学院 医歯学総合研究科 腫瘍学講座 医局長:蔵原 弘 〒890-8520 鹿児島市桜ヶ丘八丁目35-1