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     歴史は繰り返す。人は同じ過ちを繰り返す。
    戦争はいつまでたっても無くならないし、リーマンショックもバブルに学ばなかった次世代の人間が惹き起こした失策であった。

     歴史に学べば同じ過ちを繰り返す可能性は低くなるし、回避する術や期せずして窮地に追い込まれた時の打開策を見つけることができる。
    それゆえに多くの組織のリーダーたちは歴史に学ぼうとしてきた。そして彼らの多くは座右の書、座右の銘を持っている。
     医学では幸い多くの先人の知恵が文献に収められており、また施設ごとの口伝で引き継がれている奥義もあり、臨床において大きく舵取りを誤ることは少ないと思う。論文には必ず参考文献がついており、医学研究ではまさに先人の英知に学んで、よりよい新たな診断・治療法を見つけようとする「温故知新」を繰り返していることになる。

     一方、大学医局運営では、本来は大局的視点から、現在の学内各部署、地域医療機関や他大学との関係という横のつながりと、人材と技術の次世代への継承という縦の流れを総合的に考えていかなければならないはずであるが、これは必ずしも上手くいっていない場合も多く、ここにこそ歴史に学ぶ意義があると思うし、私自身もそうしなければならないと自分に言い聞かせている。



     同門会誌の名前を決めるにあたって教室の歴史を紐解いてみた。
    島津先生、愛甲先生、夏越先生と代々鹿児島に所縁のある苗字の教授が続いたが、直近の夏越先生の時代は「春夏秋冬」で、医師の生涯を季節の移ろいに喩えた言葉にご自分の苗字の一字が入れられている。
     愛甲先生の時代は「敬天究理」であり、容易に西郷隆盛の「敬天愛人」を連想させる。こちらにも愛甲先生の苗字の一字が入っている。どちらも絶妙すぎる。私の苗字は鹿児島所縁のものではなく、うまく当てはまる四文字熟語もない。唯一西郷隆盛と名前が一字共通しているが、それだけでしかない。

     そういうことで元々歴史が好きで歴史を現代に置き換えて語る談義を楽しんできたこともあり、ありふれてはいるが「温故知新」にした。
     佐賀大学一般・消化器外科の能城浩和教授は私の大学の先輩でもあるが、自他ともに認める歴史好きで、入試面接では受験生に医学を志す者は地理と歴史のどちらを学ぶのが良いかという質問をされることが多いそうだ。
     外科的発想からすると解剖などを熟知するには地理的感覚がないといけないであろうと思ってしまうのだが、医学は常に先人に学んで新しいものを見つけていく「温故知新」を繰り返していくので、歴史を学ぶべきであるという答えを期待しているそうだ。


     私の恩師は適材適所に人を配置し、仕事を下に任せて責任をすべて自分がとるというタイプの方であった。
     私が初めて腹腔鏡下膵頭十二指腸切除術を行ったのは2012年で、当時私はグループチーフでもなかったが、私を執刀医に指名し完全鏡視下で再建まで行うことを命じ、患者説明までして後は私に任せてくれた。
     保険適用になる前の自費診療の頃のことで、年功序列が組織の中で暗黙の了解としてまだあった時代であったが、当時のチーフも快く助手を引き受けてくれ手術も完遂できた。
     恩師は自身で執刀した手術でなくても重度の合併症が起こった際には常に患者家族に直接謝罪に出向いていたし、我々が嫌がる交渉事も「私がやっておきます」とだけ言い残していつも解決してくれていた。


     司馬遼太郎著「坂の上の雲」では、最大の見せ場である日本海海戦での勝利を東郷平八郎と秋山真之の智謀と決断を軸に劇的に描写しているが、もう少し読み解いていくと彼らを適材適所で配置し、現場に一切を任せ、自ら責任を取っていた薩摩の西郷従道、大山巌、山本権兵衛にたどり着く。
     彼らは幕末から明治維新、西南戦争を生き抜いた傑物で、感情に走ってしまいがちな西郷隆盛的な薩摩の中にあって合理主義に徹した大久保利通的な要素も持っていたため、そこまで生き延び絶妙の判断をぎりぎりの状況でできたのであろうと思う。
     この時代には武士道が持つ日本人的な情緒と感性を備えていたことに加え、合理的な判断ができた偉人も多く、日本人が世界から尊敬された最後の時代であったと思う。
     現在の日本人、特に政治家が尊敬されないのは「坂の上の雲」の時代の人間なら持っていたはずの日本人としての教養と矜持がないからで、そういった意味で合理性と感性のバランスは大切にしていきたいと思っているし、教室員にも意識してもらいたいと思う。

     私は手術を見ると口を出してしまう人間なので、なるべく手術室には行かず教授室のモニターから見守るようにしているが、最終的には全てを下に任せて責任だけ取る、ということが実践できるようになりたいと思っているし、任せられる後進を育成するのも重要な役目であると考えている。




     2020年はコロナ禍一色の1年であったが、幸い鹿児島大学病院では重症患者を受け入れていたにも関わらず通常業務が逼迫することはなく、第一外科も含めて2019年より全手術件数が増となった。

     私自身も出張を要する仕事がほとんどなく、大学での業務、関連施設との交流など内政に多くの時間を割くことができた。
    研究面ではこのところ一つのテーマに偏りすぎていたようだが、多様性を無くした組織は必ず行き詰まることは歴史も物語っており、今後は各臓器チームで臨床の疑問に即し臨床に還元できる研究を、後輩の指導も行いながら実践していってほしいと思う。

     最近では自前で大学院生の基礎研究の指導をできる外科教室が少なくなってきているが、鹿児島大学第一外科にはそれを実行できるポテンシャルが残っており、是非その体制も整えていきたい。
     コロナ禍で多すぎた学会・研究会や会議、出張も淘汰されていくであろうし、その分自施設で臨床と研究に没頭できる本来の姿が取り戻せるかもしれない。危機を好機と捉える、「コロナ禍転じて福となす」である。

     

     

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