2026年巻頭言
どのように人を活かすか
教授 大塚隆生
専門臓器:消化器外科(胆膵外科)
いつの世にもマネジメント論はあり、時代や組織、立場によって変わるものではある。私たちが属する外科教室では次世代へつながる組織の発展も考えなければならず、人材育成の要素も欠かせない。そういった視点で個人的に考える理想の組織運営は、リーダーが個々人の資質を見極めたうえで、活躍の場を与えて任せ、その結果責任を取ることである。若者が活躍する場がなければ組織は活性化しないし、それを見るさらに若い世代に魅力的に映らないからである。これは教育論やリーダー論にも通じるため、常に意識していることであるが、言うは易しで実践できているわけではない。
司馬遼太郎著「坂の上の雲」のクライマックスである日本海海戦は、薩摩閥海軍の人材活用が勝利を決めた本質であると個人的に解釈している。大山巌と西郷従道は、山本権兵衛がやりやすいように人事を整理し、山本は東郷平八郎を信じて一切を任せている。二〇三高地で指揮権が一時的に変わった長州閥陸軍との大きな違いで、バランス感覚に長けた薩摩閥の重鎮の多くが早世し、多分に観念的な考えに偏りがちな長州閥が長寿であったがゆえに太平洋戦争敗戦に繋がったというのが私の歴史認識である。特に大山巌と西郷従道は西郷隆盛の親族でありながら、西郷に加担せず、さらに大久保利通とも距離を取り、明治維新から西南戦争を生き延びたわけであるが、これは感性の西郷、論理の大久保の両極端な行動に加担せず、逆にどちらもバランスよく持っていたためであろうと思う。人情に通じる武士道精神(=感性)と卓越した情報分析力(=論理、昔の人たちは本当に熟慮していた)を併せ持っていた人材が多かった最後の世代であり、そこに日本人らしさの本質があるため、ビジネス書でもよく取り上げられるのであろうと思う。
プロフェッショナルの動詞形プロフェス(profess)は「神に宣誓する」という意味であり、医師にあてはめると、判断に迷う場合にも自分の良心や見識に従って診療することを誓うことである。またプロフェッショナルの本質として、技術者は法定規則を超えて結果責任を負うべきである、という意見もある。医療現場では95%の患者はどの医師にかかっても結果は同じであると言われている。いわゆる標準化である。医師側の視点で考えると、自身の手に負えないと思えば他院へ紹介すればよく、入院患者も複数のチェックが入るので見逃しや医療事故の確率は低くなる。手術の「上手い、下手」があっても、患者がちゃんと治って無事に家に帰れるのであれば結果は同じ、ということである。一方、どんなに技術に長けた外科医にも100%はない。究極を言うと一流の外科医は数%の確率を上げるための多大な努力をしていることになる。そして1%にも満たない周術期死亡率を、「一定頻度起こることで仕方がない」と思うか、「結果責任を負う」か。恐らく一流の外科医は後者であり、さらに改善を目指すであろうと思う。「医師(技術者)は法定規則(標準成績)を超えて結果責任を負うべき」ということである。この心の持ちようは手術以外の全てに通じ、その人がたどってきた人生そのもので、人格や情緒、感性に繋がり、組織の中でも周りの人間に影響を及ぼす。
翻ってリーダーの選び方は組織の行く末の根幹をなす。組織のリーダーを選ぶ過程において「一流は一流を選ぶ」が、「二流は三流を選ぶ」ものである。後者の組織は人材を活用できないまま崩壊していくわけで、メディアで見聞する破綻した組織の多くは後者である。そうなると一流を目指す若者もそういった組織を選ばなくなり、益々組織の人材が劣化していくことになる。歴史を振り返っても「見識のない独裁者とモノを言えない取り巻き」が定番で、こういった組織は現在でも存在し、そして必ず立ち行かなくなっていくことを知っておかなければならない。