2025年巻頭言
逆境をいかに活かすか
教授 大塚隆生
専門臓器:消化器外科(胆膵外科)
順風満帆な人生を送る人はほとんどいない。私も同様で、様々な失敗や挫折を経て、結果的にそれを乗り越えてきての今がある。学生時代は中途半端な身分が嫌で、それに抗いきれないまま中途半端な6年間を過ごした。卒業後その鬱憤を晴らすように必死に働き学んだが、最初の10年間だけでも3回は自信を無くし、外科医を辞めなければならないだろうと思ったことがある。苦しい時に「失敗は成功の母」、「苦労は買ってでもしろ」を楽観的に言えるほどの経験や精神力が若い頃にはなく、いつ過ぎるともわからない落ちこんだ日々を悶々と過ごすだけであった。しかしこういった先の見えない時にする努力が本当の努力で、その経験がその後の人生の糧となり、他人への説得力となる。
逆境から立ち直り今に繋がるきっかけとなったことが二つあったと思っている。一つは不遇の時の努力が無駄にならない経験をしたこと、もう一つは自身を奮い立たせる本に出会ったことである。いずれも30年前の研修医2年目まで遡る。当時の指導医は肝臓外科が専門で大変厳しかった。全否定から始まるので自分は存在してよいのか、息すらしてはいけないのではないかと思えるほどであった。周りの仲間がどんどん手術をさせてもらうのを横目に、1年間ひたすら執刀機会のない生活を送った。術前には腹部超音波を駆使し(患者がアルカローシス=過呼吸になるくらいしろと言われた)、血管造影像(当時の血管走向確認法)を徹底的に読み込んでの手術シミュレーション、術中は第3助手でひたすら見学(たまに結紮が回ってきても失敗するとその日はそれ以上させてもらえない)、術後は詳細な手術記録記載と徹底的な理論に基づく点滴メニュー作り、を孤軍奮闘しながら行っていた。結果的にその時培った肝臓外科のノウハウと頭の中での解剖の立体構築能は今でも役立っている。手術記録も当初は「公文書への落書き」扱いで正式にカルテに挟まれることはなかったが、最後の1か月は上司がカルテに挟んでくれるようになった。この頃の手術記録のコピーは初心を忘れない意味で今でも教授室に保管している(図)。ここから得られた付加価値的教訓の一つは、真摯に努力していれば必ず見てくれている人がいることで、翻って私自身も後輩にそういった態度で接しなければならないということでもある。この上司は学生時代を無為に過ごし一般常識に欠けていた私に中国古典と新聞を読むことも勧めた。そしてたまたま最初に手にしたのが「老子」で、私の読書の習慣はこの時から始まった。「老子」は厳しい社会を生き抜く知恵を簡単な言葉で示してくれ、必ず自分が置かれている状況に合った一言がある。当時から一つ一つの格言にいちいち納得し、今でも座右の書となっている。私が逆境にいると思われる人に必ず勧めるのも「老子」で、これで救われた人も多い。
昨年最も心に残ったエピソードは「女川原発はなぜ重大事故を防げたのか?」である。この話は調憲教授(群馬大学)からお聞きした。2011年の東日本大震災の際にほぼ同じ高さの津波に襲われたにも関わらず女川原発は事故を回避し、福島第一原発が未曽有の大事故に見舞われた。個人的には女川原発が東北電力の管轄で、福島第一原発が東京電力の管轄であったことが本質を突いた解答であろうと自身の教訓として捉えている。女川原発も当初は低地への建設が計画されていたが、当時の東北電力の責任者・平井弥之助氏(宮城県出身)は869年の貞観大津波で千貫神社(海岸線から8km内陸)まで津波が来たことを引き合いに、頑として高所への建設再考を主張した。建設費がかさむため反対意見も多い中、明治三陸地震での津波記録14.3mも参考に、最終的に海抜14.8mの敷地に建設され1983年に稼働した。そして東日本大震災で女川原発を襲った津波は13.8m(12.8mの波高と1.0mの地盤沈下)、わずか1mの差で女川原発には届かなかった。1986年に亡くなった平井氏の死後25年を経て、「自然への畏怖」と「自身の故郷は自身で守る」という時代を経ても色褪せない矜持が女川原発をぎりぎりで守ったわけである。一方、福島第一原発で働くのは東京電力の職員であり、単身赴任者も多いと聞く。建設当時に平井氏と同じ気持ちで様々な想定をできたかどうかは想像の域を出ない。
女川原発の話は地域医療にも通じる。地域医療はその地域に縁のある者がpricelessに行って初めて成り立つ。最近ではお金や余暇、自身の知識や技術の向上、政治的な思惑に重きを置いた医師が老若男女を問わず増えてきていることが残念でならない。そしてそれが長い時を経て地域医療に暗い影を落としてくる。外科医療や地域医療、大学運営は過渡期を迎えており、ここで「国家百年の大計を誤れば、死してもその罪を滅ぼすことはできない」のである。最近は政治不信が叫ばれ、企業の倒産・統合が増えてきているのは大計のないトップが増えてきたことにも一因があると思う。稲盛和夫氏の言葉を借りれば、利己ではなく、「そこに利他の心があるのか?」ということを考えてもらいたい。逆境を経験したくはないが、誰にでも必ず訪れる。逆境からの脱出は言葉で言うほど簡単なものではないが、人を成長させてくれるものでもある。そしてその時すべきことは自分のできることを淡々としていくことである。簡単なようで難しいが、先人もそれを実践してきたわけで、そこに歴史に学ぶ重要性がある。是非若い人たちにも逆境を好機と捉え成長していってもらいたい。